事務所概要

故・税理士楢山直樹について

弊事務所のホームページをご覧いただきまして、誠にありがとうございます。
平成27年11月21日に創業者である税理士 楢山直樹は、約1年間の闘病の末享年62歳でこの世を去りました。税理士として、そして経営者として28期を過ごし、社員も20名に増えました。さらに孫も生まれ、人生の円熟期をむかえた矢先であり、残された家族、スタッフ、お客様は大きな衝撃を受けました。
数々の個人事業主の法人化のお手伝いをしてきた楢山直樹は、自分の状態を知った後、人生の最後の仕事として自身の事務所を法人化するため精力的に動き、全国の同志との税理士法人化を成し遂げ、告別式の内容まで事細かに決めてこの世に別れを告げました。
残された私たちはいつも明るく笑顔で多くの人に慕われた父の創業精神を忘れずお客様の会社を元氣にするべく邁進していきたいと考えております。

エピソード ~人材は人財である~

はじめまして。楢山直樹の長男・楢山直孝と申します。
私が高校生の頃のある日、父から事務所に呼ばれたことがありました。その際に自身の事務所の決算書を見せられ、「これを見て何か改善点はあるか?」と聞かれました。簿記の簿の字も知らない私は、「人件費が多すぎるんじゃない?削ったら?」と答えました。すると、「それはやってはいけない。社員の生活と人生がかかっているから。」と怒られた記憶があります。周囲の人を大事にする父らしい考え方だと感じます。当時は問いに対する答えがわかりませんでしたが、今思えば、経営者の気持ちになり、税務会計の知識と経験を積み一緒になって考えることこそが答えだと思います。
小さいころは忙しく、あまり遊んでもらった記憶は残っていませんが、居なくなって初めて父親の偉大さがわかりました。
一期一会で出会いに感謝し、人を大切に、元氣にすることが、今私がすべきことだと心に誓い、前へ進みたいと思います。

楢山直樹について

父の記憶にある祖父の姿は夜中に帳簿をつけている後ろ姿だったそうです。祖父は田舎の小さなタクシー会社の社長兼運転手兼経理をしていたようです。進路の話になった際、「おまえの人生だから何になっても良いが数字にだけは明るくなっておけよ」といわれた父は、紆余曲折を経て最終的に税理士を選択いたしました。中小企業の経営者のお役に立てることが、祖父に恩返しすることができる唯一の道だと信じてまい進しておりその姿勢は生涯ゆるぐことはありませんでした。

楢山直樹エピソード「縁は異なもの」

お歳暮代わりに献本を

年間200冊程の読書をする父は、経営者の皆様に選りすぐりの一冊を献本していました。
経営者の皆様がもらってうれしいもの、ビールやお菓子ではなく、経営に役立つものがよいだろうと思ってはじめ、すでに44冊になり、著作者と思わぬ交流がうまれたりライフワークとなっていました。

智創税理士法人盛岡事務所 献本実績

自分への弔辞

祖父が亡くなった49歳という年齢が私の人生の節目だった父は、この年齢を越えた時「これからは余生である」と考え、自分への弔辞を作成することにしました。毎年書き換え、その都度理想と現実のギャップなど、学びや反省点が浮き彫りになり毎年新しい自分への再出発に向けて良い教材になっていたようです。年々原稿量が増えていくので、いざその時を迎えた時、時間がいくらかかるか悩んでいましたが、15回目の弔辞が最後の原稿となりました。