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楢山直樹エピソード

縁は異なもの

今まで生きてきて、本当に多くの出会いとたくさんの良いご縁をいただいてきました。
私は、いつも誠意と愛情を持って一所懸命に生きている父と母の姿を見て育ちました。私自身が歯が悪かったこともあり、歯科医師になろうと決意して現役で歯科大学に合格したのですが、そこは第1志望ではなく、希望の大学に入りたかったので浪人することにしました。ところがその時に、人生の方向転換を余儀なくされることが起きたのです。それは尊敬する父の突然の死でした。
私の小さい頃の記憶にあるのは、岩手の片田舎で、小さなタクシー会社の社長兼運転手兼経理担当者でもあった父が夜中に帳簿をつけている後ろ姿でした。
ある日、大学への進路で歯科医師になりたいと打ち明けた時に、父も東京物理学校(現東京理科大学)に行きたがったが、7人兄弟の長男で進学できなかったから、おまえは自分の夢を実現しなさいと言ってくれました。若い頃の父の夢を聞いたのは、これが初めてでした。
その時、父から言われたのは「おまえの人生だから何になっても良いが数字にだけは明るくなっておけよ」という言葉でした。
1年間の浪人生活の後に、唯一合格した明治大学経営学部に入学しました。でも、未だに夢を諦めきれずに図書館通いの毎日でしたが、その時救われたのが、最初の授業で隣に座ったのが縁で親友となった、圷等(あくつひとし)君の「君は将来、公認会計士か税理士になるんだ!」という言葉でした。私にも、生きる望みと勇気と目標ができました。
一旦、故郷である盛岡に帰省して、岩手医科大学企画法人化に就職しました。仕事で来る公認会計士や税理士さんの姿に憧れて、たった1年の勤務でしたが、税理士の資格取得を目指して再度の上京を決意しました。そして、大学の恩師である嶌村剛雄教授に会いに行き、大学院に入学しました。昼は大学院生、夜は簿記学校の講師と受験生の生活をしながら、ようやく税理士資格の取得をすることができたのです。
税理士資格を取得して盛岡にもどり、最初に勤務した女性税理士事務所では、1年間の勤務で体重が一時10キロも減るくらい減るくらい痩せることができ、学んだことは、「手書きの会計の仕方と人の使い方と使われ方」でした。
昭和63年4月1日、晴れて独立開業をし、女性職員1名からのスタートをきりました。お陰様で、今年で開業20年目、職員15名、お客様数240件となりましたが、私自身が常に意識していることは、父の死に学んだ「この世に生かされていることに感謝する」ということと、「数字に明るくなれ」という言葉です。
私の人生にもいろんな紆余曲折がありましたが、父の言葉を思い出し、自分の職業として中小企業の経営者のお手伝いをしたいと思い、税理士を選択いたしました。これが、中小企業経営者であった父への、唯一の恩返しの道だと信じております。
経営者の使命は、創業の精神を大切にして自分の生き方を形にして行くことにあります。経営者の念いとは、・人のお役に立ちたい、・立派な経営者になりたい、・社員が誇れる会社にしたい、・価値ある会社にしたい、という理念にあると思います。そんな中小企業の経営者のお役に立てることが税理士の使命なのではないでしょうか。
私たち人間がこの世に生まれてきたのは、人類の歴史を一歩前に進めるためです。私は、今までのご縁を大切に、自分が生かされていることに感謝して税理士として社会貢献をしていきます。私は、今日1日、1分1秒を大切に生きていきたいと思っております。

2007.3月号「理念と経営」より